酒呑老子の独白 29,35,49号で諫早の眼鏡橋に因む話題をご紹介いたしました
暴れ川の異名を持つ本明川は橋をかけても洪水ですぐに流されていました
近隣からは橋もない城下町と揶揄されていたそうです
第12代 諫早領主 諫早茂洪(しげひろ)公がこのような中で頑強な石橋造りを命じました
領主の命は強いだけでなく虹のように美しい橋とのことでした
橋普請を命ぜられた家臣は石工の招集、石材の調達など奔走しました
石工は地元や佐賀領内からも集められ、石材の多くは架橋現場近くの、現在の慶厳寺周辺より
調達でき 天保9年9月に着工され翌年天保10年8月には完成するという異例の速さと技術力で
僅か1年足らずで完成しました
昭和32年の大水害の後眼鏡橋の架け替えにはかなりの時間を要しました
結局本明川は拡幅、かさ上げすることとなり、隣接する高城公園に移設されました
移設のため橋を解体するとき、構成する石が1個1個 橋のどの部位か記録保管されました
実はこのとき1個の石に模様が掘り込まれていました、よくよく見るとその模様は
男女の秘め事の図でした
この模様は石工のいたずらか あるいは 壊れて離れ離れにならないように念じた
呪文か 定かではありませんが おそらくまじないの1種と考えられます
近々 眼鏡橋 は新しい斬新なイメージで紹介されることでしょう
恋の架け橋 諫早の眼鏡橋
かたい契の 眼鏡橋
夫婦和合の 眼鏡橋 なんか ださいな~
眼鏡橋
行き戻りすれば
面白かなり
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