行き戻りすれば
おもしろかなり
本稿50号に眼鏡橋異聞と題して、あまり一般には知られていない眼鏡橋の秘密をご紹介しています
昭和32年7月25日は朝から断続的に猛烈な雨が降り続いていました
酒呑老子は当時中学校1年生で中体連の開催中で、北諫早中学校で行われる陸上競技が中止されたと記憶しています
豪雨で本明川は警戒水位を突破し、夕刻4時頃支流の大上戸川もあふれ八坂町にあった私の生家黎明酒造も浸水がはじまりました、そして一夜にして600名の尊い命を奪い去ってしまいました
この原因の一つが本明川に架かった唯一の石橋 眼鏡橋でした
天保10年 時の諫早領主諫早茂洪(しげひろ)の命によって洪水に耐えられる堅牢な石橋が完成し領民は以後この橋によって生活を支えられてきました
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| 昭和初期の写真左が水月楼側 |
昭和32年の水害では皮肉にも堅牢が故に流木が本明川の流れをせき止め被害を拡大させました
諫早水害以降この橋は、本明川の拡幅、かさ上げ工事のため現在の諫早公園に移設されることとなりました水害により橋の欄干など一部は流失していましたが、工事に携わる人たちの丁寧な作業でそのほとんどは拾い上げられました
73号に続く

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